複合的世界危機の下での気候・エネルギー・安全保障
――日本がとるべき脱炭素・平和・自律の戦略(第1部)
(本稿は全国日本学士会会誌『ACADEMIA』創立80周年記念号(No.205, 2026.7)に掲載された巻頭論文「複合的世界危機の下での 気候・エネルギー・安全保障:日本がとるべき脱炭素・平和・自律の戦略」を再録し3部構成としたものの第1部です。)
【要旨】
本稿は、2026年の世界が直面する気候変動、地政学的対立、資源制約、社会的分断などが相互連鎖する複合的危機(「ポリクライシス」)の構造を分析し、持続可能な未来の条件を検討する。米中テクノロジー覇権をめぐる電気スタック競争、トランプ政権の反気候政策による国際協調の弱体化、ウクライナやガザをはじめとする武力紛争がもたらす甚大な環境・気候影響、さらにホルムズ海峡危機に象徴されるエネルギー安全保障の脆弱性を取り上げ、複合危機が持続可能性を多面的に侵食している現状を明らかにした。分析の結果、脱炭素化は環境政策にとどまらず、経済競争力、エネルギー安全保障、外交的自律性を高める国家戦略であること、また「平和と気候」を統合した国際協調の再構築が不可欠であることを示す。日本は、再生可能エネルギー拡大、産業構造転換、公正な移行を軸に、脱炭素・平和・自律の道を歩むべきである。
はじめに:漂流する世界と持続可能性の危機
2026年の世界は、かつて経験したことのない不確実性に包まれている。気候変動、生物多様性の喪失、資源制約、地政学的対立、社会的分断、経済の不安定化――これらが相互に連鎖し、複合的危機(ポリクライシス)として顕在化している。ウクライナ、ガザ、イランなどでも深刻な軍事紛争が続いた。
国際救済委員会(IRC)のミリバンドが述べたように、2026年は「新世界無秩序(New World Disorder)」の幕開けであり、従来の国際秩序や政策枠組みが機能不全に陥りつつある[1]。
特に、アメリカのトランプ政権による反気候政策の再登場は、世界の脱炭素化の潮流に深刻な逆風をもたらしている。パリ協定と気候変動枠組条約からの離脱、化石燃料増産の推進、環境規制の撤廃、気候科学の否定、国際協調の弱体化――これらは、世界の気候危機管理システムを根底から揺るがすものである。
一方で気候変動の進行は科学者の予測よりも急速に進行している。早急な温室効果ガス(GHG)の削減がなければ人類の存亡そのものが懸念される。そしてトランプ大統領の反気候政策もあり、気候変動進行の危機に加え、「世界の気候危機管理システム」の危機の深刻化が懸念されているのである。
気候危機は政治の混乱を待ってはくれない。2024年の世界平均気温は産業革命前比で1.55℃上昇し、観測史上最も暑い年となった[2]。日本でも2024〜25年にかけて記録的な猛暑が続き、極端気象による農業被害、インフラ損壊、健康被害が深刻化している。気候変動はもはや将来のリスクではなく、現在進行形の現実である。
このような状況の中で、持続可能な未来を構想し、実現するためには、危機の本質を正確に捉え、複合的な視点から対応策を講じる必要がある。
こうした問題意識の下、本稿では、①米中テクノロジー覇権と持続可能性の地政学、②気候と民主主義を破壊するトランプ大統領の反気候政策、③戦争と環境・気候危機 ― 戦争が持続可能で公正な未来を妨げる、④エネルギー危機の教訓 ― 再エネ拡大の必然性、⑤日本の平和と持続可能なエネルギー転換に向けた戦略、をテーマをとしてとりあげ、複合的世界危機の下での持続可能な未来の考察の一助としたい。
1. 米中テクノロジー覇権と持続可能性の地政学
ユーラシア・グループの『世界の10大リスク2026』[3]では、冒頭で、「米国は自らが作り上げた国際秩序を解体しつつある。世界最強の国が政治革命の真っただ中にある」「世界中の他の国々にとって、米国は予測不可能で信頼できない存在となった。この新たな現実に適応することは、喫緊の地政学的課題となっている」と述べている。
ここでは『世界の10大リスク2026』に拠って、21世紀の経済覇権を決定づける中核として「電気スタック(Electric Stack)」に関する論考を手掛かりとして、米中テクノロジー覇権と持続可能性の地政学を見ていく。
報告書では、21世紀の経済覇権を決定づける中核が「電気スタック」(バッテリー、モーター、パワーエレクトロニクス、組み込みコンピューター)にあり、それを掌握した中国と、化石燃料中心路線を強める米国との戦略的分岐が、2026年を一つの転換点として決定的な意味を持ち始める、と主張している。
EV、ドローン、ロボット、先端製造、スマートグリッド、蓄電池、AIといった現代の主要技術はすべて電気で動作し、共通の基盤として電気スタックが共有されており、このスタックを制する国が、現代経済のあらゆる中核システムを構築でき、逆に手放せば他国から未来を「購入」せざるを得なくなる。
中国はこの基盤を戦略的に押さえている。2010年には世界有数の化石燃料依存国であったが、現在では再生可能エネルギーの導入と生産で世界をリードし、電池生産の約75%、ネオジム磁石の約90%を支配している。ソーラーパネルや風力タービン、送電網設備、EV、ドローンなどでも優位に立ち、長年の産業政策と規模の経済によってコストを劇的に低下させてきた。国内での過当競争や過剰生産能力批判にもかかわらず、中国は次期五カ年計画でさらに強化を図る構えである。
一方、米国は2018年以来世界最大の石油生産国としての地位を固め、トランプ政権の下、LNGや石炭、原子力を重視し、再生可能エネルギー支援を縮小する方向にある。その気候政策は、反知性主義とポピュリズムに基づき気候科学を否定し、環境正義に逆行し、民主主義的プロセスを踏みにじる強引な手法で進められている。これらの政策は米国のみならず世界全体の気候変動対策に深刻な悪影響を及ぼし、国際協調の弱体化や、途上国への支援縮小などが懸念されている。再エネ政策は文化戦争と化し、税制支援の縮小により太陽光や蓄電池導入が抑制されている。
その結果、中国が21世紀型インフラを新興国に提供する一方で、米国は依然として20世紀型の化石燃料や航空機、農産物輸出に依存する構図が生まれている。
新興国にとっては、ソーラーパネルや風力タービン、次世代の蓄電システム、送電設備、電動(かつ知能化された)車両、高度なドローンなど、中国の安価で拡張性の高い電気インフラは魅力的であり、政治的に米国と決別せずとも徐々に中国基盤へ傾斜することが可能である。この累積効果は、地政学的影響力の移転をもたらす。すでに中国の再生可能エネルギー関連技術の輸出額は、米国の化石燃料輸出額を上回っている。中国のスタックを採用することには、サイバーセキュリティー上のリスクや、自国の電子技術産業を育成する機会が減るといったリスクもあるが、多くの国は安価な中国製品による利益を選択するであろう。
米国は国内でも電力網の逼迫という問題を抱えている。リショアリングやデータセンター拡張で需要が急増する一方、送電網接続の遅延やインフラ老朽化が深刻化している。実際には、短期間で増設可能な太陽光と蓄電池こそが有効な策であるにもかかわらず、政策的制約により十分活用できていない。
米国の「化石燃料第一」の姿勢は、世界のエネルギー分野の主要プレーヤーとは歩調が合っていない。インドは電気技術を活用して広範な経済発展を遂げた中国の成功を再現したいと考えており、欧州は、大陸内を結ぶ送電網の拡張や電気スタックへの投資などを通じて、化石燃料への依存を減らす方法を模索している。湾岸諸国は、新しいエネルギー供給網やAIの展開において自らの役割を確立しつつあり、サウジアラビアでさえ、データセンターの電力供給に太陽光発電を検討している。
AI競争がこの構図を一層重要にしている。米国は最先端モデル開発で先行するものの、AIの学習と実装には莫大な電力と物理的インフラが必要となる。中国は米国の約2.5倍の発電量を持ち、発電容量を急拡大している。加えて、自動運転車やロボットなどAIを組み込む物理システムの多くは中国が優位な電気スタック上で駆動している。米国が「最高性能モデル」の開発に賭けるのに対し、中国は知能をコモディティ化し、低コストで大規模展開する戦略を取っており、この戦略が産業的・軍事的に実効性を持てば、米国は研究競争で勝っても、実装競争で劣る可能性がある。
総じて、電気技術の格差は米国に三重の不利をもたらす。国内では高コストと建設遅延、国際的には影響力低下、戦略的にはAIの実装基盤の欠如である。世界的には安価な電気技術の普及は歓迎すべきであるが、現状が続けばその恩恵の多くは中国に帰し、米国は商業的・地政学的に後退する。中国は「電子」に賭け、米国は「分子」に賭けた。その選択の帰結が、2026年以降、より鮮明になるというのが報告書の核心である。
2. 気候と民主主義を破壊するトランプ大統領の反気候政策
米国のトランプ大統領は2025年1月就任以来、脱炭素政策を否定する一連の大統領令を発出し、同年7月4日には気候変動対策を大きく転換させる通称「One Big Beautiful Bill(OBBB)」[4]に署名した。その政策は、反知性主義とポピュリズムに基づいて気候科学を否定し、環境正義と逆行し、民主主義的プロセスを踏みにじる強引な手法で進められている。これらの政策は米国のみならず世界全体の気候変動対策に深刻な悪影響を及ぼし、国際協調の弱体化や、途上国支援の縮小などが懸念される。
トランプ政権の主要な気候政策は以下の通りである。
気候科学の否定
トランプ大統領の気候政策の根底には、気候科学と科学や研究活動全般に関する否定姿勢(反科学、反知性主義)がある。
大統領就任後、環境保護庁(EPA)、米国海洋大気庁(NOAA)、米国航空宇宙局(NASA)などの職員と予算が大幅に削減され、科学的観測が中断された。気候変動に関する科学的知見は国際公共財であり、その最大の貢献国であった米国での事態が人類社会に与える悪影響は計り知れない。
このような状況の下、ノーベル賞受賞者を含む1900人余の科学者が25年3月31日、トランプ政権の「科学に対する全面攻撃」により米国が危機にさらされているとし、米国市民にSOSを発する公開書簡[5]を発表した。
この書簡では、「科学のミッションである真実の探求には、研究者が自由に新たな問いをたて、研究で得た知見を特定の利益に左右されることなく、正確に報告することが求められる」とし、政権による検閲は、研究の独立性を破壊していると述べている。さらに「科学界には、恐怖のとばりがおりている。研究者は職や研究資金を失うことを恐れ、論文から自分の名をはずしたり、研究を断念したり、助成金申請書を書き直したり、『気候変動』のように科学的に正確な言葉でも政府が反対しそうな文言を論文から削除したりしている」と述べ、恐るべき現状を伝えている。
多国間主義に基づく国際協調からの離脱
トランプ大統領は就任初日にパリ協定からの再離脱、後には気候変動枠組条約からの脱退も表明した。また条約への資金拠出も停止し、途上国向け資金支援を撤回する方向である。「緑の気候基金(GCF)」などの途上国への気候変動対策支援が停止されることとなり、途上国支援への大きな打撃となる。
化石燃料の増産
化石燃料開発奨励策を推進し、エネルギー生産に関する規制を撤廃し、化石燃料事業者の採掘・販売・輸出等の支援策を導入する。国有地や海底油田での石油掘削の許認可を増やし、液化天然ガス(LNG)の開発・輸出計画を再開するとしている。
環境規制の緩和
メタン排出量に対する課税や罰金を廃止する動きがある。また、自動車の排出規制・燃費基準を緩和し、電気自動車(EV)へのシフトを抑制する。火力発電所に対する排出規制の緩和、原油・天然ガス掘削規制緩和、液化天然ガス輸出許可凍結の解除、関連プロジェクトの承認も迅速化され、気候関連開示ルールの見直し導入の可能性もある。
クリーンエネルギー支援の縮小
大統領はインフレ抑制法に基づく気候変動対策の補助金や融資の支出を凍結するよう指示し、EV購入への税控除の縮小、EⅤ充電ステーション・ 風力発電等の再エネへの補助金も縮小された。風力発電向けの公有地貸し出しの一時停止も指示している。
環境正義の否定と州権限の制限
大統領は環境正義を全面的に否定し、EPAの環境正義局職員168人を休職させた。さらに、民主党主導州での州法による脱炭素法実施の妨害のため、25年4月8日に大統領令を発し、気候変動、ESG、環境正義、排出削減に関する州法を「違法化」するよう司法長官に指示した。
OBBB法の署名
25年7月4日にトランプ大統領が署名したOBBB法は、バイデン時代の脱炭素路線を全面的に巻き戻し、化石燃料主導型経済への回帰を包括的に法制化したものだ。米国のエネルギー自給、経済成長、雇用創出を最大化し、過剰な環境規制を撤廃することを目的としている。この法律により、米国内では短期的には化石燃料産業が活性化する可能性がある一方、再エネ市場は冷え込み、クリーンテクノロジー投資の減少が予想される。長期的にはGHGの排出増加による温暖化の加速、気候災害被害の増大、米国企業の競争力低下がもたらされるだろう。
今後の展望
トランプ大統領の急激な政策転換にも拘わらず、米国内には環境志向の企業や市民が多く存在する。米国は州の権限が強く、民主党主導州では従来の政策が継続される見込みだ。カリフォルニアやニューヨークを含む24州の知事からなる「米国気候同盟」は、「気候変動対策の継続」を表明している。この同盟は米国人口の54%、GDPの57%を占める。
現実には米国では、トランプ政権が化石燃料重視・再エネ支援縮小へ政策転換しているにもかかわらず、再生可能エネルギーは明確に増加し続けている。例えば再エネ発電量・比率は過去最高を更新し、2025年の米国電力の26%が再生可能エネルギー(太陽光・風力など)で過去最高となっている。また、2025年3月には、1か月間で初めて再エネが全米電力の50%以上を供給した。太陽光発電は前年比37%増、風力は12%増と大幅に伸びている。
さらに新規導入容量の大半がクリーンエネルギーとなっている。2025年に追加された新規発電容量の90%がクリーンエネルギー(太陽光・風力・蓄電池)であり、2026年の新規容量の93%が太陽光・風力・蓄電池になる見通しであり、特に太陽光は、新規電源の85%を占める勢いであるという[6]。
一方、米国の撤退により国際的協調枠組みが弱体化し、途上国の対策が遅れる懸念があるが、他の先進国がその空白を埋めることが望まれる。
最悪シナリオでは、脱炭素化の遅れ、技術開発の停滞、国際企業連携の縮小、化石燃料への依存継続などで地球全体の温室効果ガス(GHG)排出削減が妨げられる可能性がある。
しかしながら米国以外の国々は脱炭素化の流れを維持している。
欧州は脱炭素化に向けたエネルギー転換を化石燃料輸入依存低減とエネルギー安全保障向上の機会と捉えている。日本でも、排出量取引の本格始動、気候情報開示の義務化などの脱炭素化に向けた政策導入は続く。企業にとっても、製品、サービスのライフサイクル全体を通した持続可能性への要請は高まっている。
世界最大のGHG排出国である中国は、世界のサプライチェーンを支配している太陽電池パネル、電気自動車、電池などの技術を持っている。米国の需要や市場アクセスの変化にかかわらず事業拡張を目指し、米政権の政策転換を、世界での市場占有率を伸ばし自国技術を素早く普及させ、値下げ攻勢をかける良い機会と捉えている。
インドではGHGの増加は著しいが、脱炭素を経済的好機とみて、世界最悪水準の大気汚染の改善に不可欠なステップとして脱化石燃料を位置づけている。
他のほとんどの新興市場では、再エネ価格の急速な低下を背景に、経済的理由から、再エネ導入の加速を望んでいる。より多くの新興市場が、不安定な輸入化石燃料より、安価な国内の太陽光や風力などの再エネを採用するだろう。
トランプ政権の気候政策は、民主主義を踏みにじり、米国および世界全体の気候変動対策に深刻な悪影響を及ぼす。移民問題などを背景とした欧米での自国第一主義の拡大とともに、国連中心の多国間主義も崩壊の危機に瀕しており、国際協調の機運が退潮している。
このような状況下で、国際的な気候協調体制に暗雲が漂うが、持続可能な未来を築くためには、重層的な多国間主義と、志を同じくする国々や企業、市民団体、都市・地域などの連携を強化し、脱炭素化を前進させるしか道はない。
脱炭素への移行にはコストがかかるが、放置すれば気候変動対策の遅れや安全保障上のリスク増大に伴うコストが莫大となり、脱炭素化投資をしない不作為の方が高くつく。
わが国を含む各国政府は、実効性ある政策の実施とともに、米国の撤退を補完すべき国際的な連携枠組みの再構築が求められる。
化石燃料の大量輸入に依存している日本は、脱炭素を進め、産業を新しく生まれ変わらせるための枠組みを整備し、脱炭素投資を促進することによって、経済面でも安全保障の面でも競争力と自律性を高め、国際的脱炭素社会への移行に向けた多国間協調の再構築に寄与することが望まれる。
3.戦争と環境・気候危機 ― 戦争が持続可能で公正な未来を妨げる
戦争は最大の環境破壊である。軍事活動により生態系は破壊され、有害物質は拡散される。土壌や水は汚染され、莫大な温室効果ガスが排出される。貴重な自然や生態系も一瞬で根絶やしにされる。現在、世界各地で勃発している武力紛争は、数多くの人命を奪う「人道危機」であると同時に、環境にも重大な損害を与える「環境危機」でもあり、地球温暖化の原因である二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスも大量に排出して「気候危機」を悪化させている。
「国破れて山河在り」という言葉がある。戦乱で国が荒廃しても、山や川などの自然は変わらずに残っていることを詠った漢詩の一節だ。だが現実には、武力紛争で国も自然も破壊されてしまう。振り返れば、第2次世界大戦が終結して以降も武力紛争は後を絶たず、多くの人命が失われ、環境の破壊が続いた。
1955年から75年まで続いたベトナム戦争では、強い毒性のダイオキシンを含む枯葉剤を米国が大量に散布した結果、土壌や河川、湖などが汚染され、その影響で今日も胎児が奇形になるなどの深刻な健康被害が見られる。
91年の湾岸戦争と2003年のイラク戦争では、放射性廃棄物である劣化ウランを用いた劣化ウラン弾を米国と英国が合わせて100万発前後使用したと推計されており、土壌が汚染されたほか、因果関係は立証されていないものの、がんや白血病などに罹患する人が急増したため、長期的な疫学調査が必要であるとされている。
現在も、ロシアによるウクライナへの侵略に加え、パレスチナ自治区ガザ地区やレバノンに対するイスラエルの過剰な攻撃、米国とイスラエルが開始したイランへの大規模攻撃とそれに対するイランの報復攻撃などが起きている。
これらの武力紛争で多用されている弾道ミサイルや巡航ミサイル、砲弾には鉛やカドミウム、水銀などの重金属をはじめとする環境に有害な物質が多く使われ、製造されている。また、石油関連施設が攻撃されることで発生した黒煙には発がん性物質が含まれることも多い。原油の流出による海洋汚染、核関連施設の攻撃、軍事占拠による放射能汚染の発生も懸念される。
軍事活動は大量の温室効果ガスを排出しており、温暖化を加速させる要因にもなっている。一方でこれらを計測する試みも始まっており、その象徴はウクライナの事例である[7]。
ウクライナは、ロシアの軍事侵攻に起因する温室効果ガスの排出量を算定する取り組みを進めている。22年3月には、ウクライナや欧州諸国の環境問題を専門とする研究者が参加する「戦争の温室効果ガス算定に関するイニシアチブ」(IGGAW)が発足した[8]。
IGGAWによると、ロシアがウクライナへの侵略を開始した22年2月24日から今年2月23日までの4年間で、ロシアの攻撃に起因して排出された温室効果ガスの総量は3億1100万㌧以上になるという[9]。これは、フランスが1年間に排出する温室効果ガスの総量に匹敵する。
その内訳は、軍事活動そのものからの排出(37%)、空爆や砲撃による森林火災など(23%)、復興に伴う排出(23%)、ウクライナとロシアの上空を各国の民間航空機が飛行できなくなっているため迂回によるもの(9%)、エネルギー・インフラの破壊によるもの(6%)、多くの国民が難民となったことに伴うもの(2%)となっている(図1参照)。
図1(出典:公明新聞2026年6月13日)

戦争終結後の復興においても、破壊された建造物などの再建で鉄鋼やセメントが大量に使用されることに伴い、大量の温室効果ガス排出が想定される。そのためウクライナは、復興の際に環境に配慮し、温室効果ガスの排出をできる限り抑制する「グリーン復興」を推進する方針を掲げている。また、ウクライナ政府は、軍事侵攻に由来する温室効果ガスの排出について、ロシアに「気候損害賠償」を求める意向だ。
一方、ガザへのイスラエルの攻撃で排出された温室効果ガスの量も算定されている。
例えば、武力紛争が環境と気候に与える影響を科学的に調査し、国際社会に警鐘を鳴らす英国の非政府組織(NGO)である「紛争と環境観測所」(CEOBS)[10]などは、人工衛星を用いた観測技術も駆使して、軍事活動による温室効果ガスの排出量を算定する「気候に対する戦争」という取り組みを進めている。
その取り組みによると、イスラエルがガザへの攻撃を開始した23年10月7日から15カ月間の戦闘行為だけで約190万㌧、戦後復興なども含めると3220万㌧以上の温室効果ガスが排出されたと推計されている。東京都の約6割の面積しかない狭いガザで排出された温室効果ガスが、100カ国以上の年間排出量を上回る規模に達している。
ガザの状況は「エコサイド」(環境の大量破壊)であるとの指摘もある。エコサイドとは、生物と環境との関係を表す「エコロジー」と「ジェノサイド」(集団殺害)の二つの言葉を合わせた造語である。
ガザでは家屋などの建造物に加え、発電所や上下水道、衛生施設などの生活インフラも徹底的に破壊し尽くされている。建造物が破壊されるとアスベストや重金属などの有害物質も大量に飛散し、大気や土壌、地下水などが汚染される。しかも、上下水道や衛生施設が破壊されているから、住民は汚染された水源を使わざるを得ず、環境汚染と健康被害が同時に悪化する事態に陥っている。まさしくエコサイドと呼ぶべき状況である。
エコサイドは「重大」かつ「広範」または「長期的」な環境損害の発生を予見しながら、その事態を招く「違法」または合理的な配慮を欠く「無謀」な行為であると定義されている[11]。この言葉は、ベトナム戦争での枯葉剤の使用に抗議した米国の植物学者、アーサー・ガルストンが1970年に提唱した。2010年には、英国の法廷弁護士で環境保護活動に力を入れていたポリー・ヒギンスが、国際刑事裁判所(ICC)が裁く「集団殺害犯罪」「人道に対する罪」「戦争犯罪」「侵略犯罪」の四つとともに、エコサイドも5番目の犯罪として追加する条文をICCの設立条約であるICC規程に盛り込むべきだと国連法務局に提案している。
今後国際社会はどう対応すべきか。
各国の軍事部門が排出する温室効果ガスの総量は、地球全体の排出量の約5.5%を占めるという推計もある[12]。温室効果ガスの主要な排出源である航空業界と海運業界はそれぞれ2~3%を占めているから、軍事部門はこれら二つの業界を合わせた巨大な排出源ということになる。
にもかかわらず、温暖化の防止をめざす国際枠組みであるパリ協定で定められた報告義務から、軍事部門の排出量は除外されており、統計上「見えない排出」になっている。まずは、軍事部門による排出もパリ協定の報告義務の対象にして「見える化」すべきである。しかし軍事部門からの温室効果ガスの排出量は、軍事機密に関わる情報とされ、米国をはじめ各国が強く反対している。それでも、国連環境計画(UNEP)などの国際機関やNGO、環境問題に詳しい専門家らが軍事部門由来の排出の観測を粘り強く続けて実態を把握し、見える化の実現に向けた国際機運を高めていくための声を上げ続けていくことが重要である。
戦争の環境影響から見えてくるのは、戦争は「気候と人類の未来」を破壊することである。すなわち、①戦争は、短期間に「国家レベル」の温室効果ガス排出を生み、②軍事セクター全体は、世界排出の約5.5%という巨大な「見えない排出源」であり、③気候変動は戦争を誘発し、戦争は気候危機を加速させるという悪循環が現実化している。「戦争を止めること」は、人命を守るだけでなく、地球の気候システムをこれ以上壊さないための、最優先事項なのである。
[1] David Miliband announces launch of IRC Emergency Watchlist 2026
December 16, 2025, https://www.rescue.org/article/david-miliband-announces-launch-irc-emergency-watchlist-2026
[2] 2024年は史上最も暑い年に ― 国連の気象機関が発表,、2025年01月21日 https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/51488/
[3] ユーラシア・グループ 2026年世界10大リスクhttps://www.eurasiagroup.net/siteFiles/Services/Top_Risks_2026_jpn.pdf
[4] 正式名称は“American Energy Independence and Prosperity Act of 2025”
[5] Public Statement on Supporting Science for the Benefit of All Citizens https://docs.google.com/document/d/13gmMJOMsoNKC4U-A8rhJrzu_xhgS51PEfNMPG9Q_cmE/edit?tab=t.0#heading=h.b3f2t4qlidd
[6] Despite Trump, renewable energy keeps urging, January 29, 2026
[7] 戦争による環境破壊―ロシアのウクライナ侵攻から考える松下和夫 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jriet/53/3/53_122/_pdf/-char/ja
[8] CLIMATE DAMAGE CAUSED BY RUSSIA’S WAR IN UKRAINE 24 February 2022 –23 February 2026 https://en.ecoaction.org.ua/wp-content/uploads/2026/02/climate-damage-rusagression_48months_en-2s.pdf
[9] 同上
[10] https://ceobs.org/
[11] 大量の環境破壊行為「エコサイド」 国際法で定められた4つの罪とは
[12] CEOBS(The Conflict and Environment Observatory)+ SGR(Scientists for Global Responsibility)共同報告書(2022)“Estimating the military’s global greenhouse gas emissions”において、独自の推計手法に基づき、世界の軍事部門の炭素フットプリントは約5.5%と算出している。
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